助けられない場面に直面すること 〜獣害対策の現場から〜

今日はとある地区に被害の聞き取りで行っていました。国道から脇道に入り、細い道を車で上がっていきます。周りには小さな畑がいくつもあり、そこで1人のおばあちゃんが農作業をしていました。「ここら辺は獣害はありますか?」と声をかけると、「もうここいらはイノシシばっかりよ。作ってもやられる」と困った顔で言われました。

良く地域で聞く声があります。それは以下のような事です。

「サツマイモは絶対やられるから、もう作ってない。作りたいけど作れんね」

「対策するにも、趣味でやってるばかりなものだから、お金かけることもできないしね」

「こうやって、ちょっとばかり野菜作るのが楽しみなんやけどね。でもイノシシが来だしたら、これもできんくなるね」

みんな口調は明るいのですが、その言葉からは悲しさや無念さを感じます。

 

最近僕が思うこと。それは、獣害対策を行う上で、小規模の農家を救うのはすごく難しいということです。農業で生計を立てているような人は、確かに被害が収入の減少に直結するので深刻です。しかしそういった方は大抵、獣害対策をするだけの力があります。それは、対策に使うお金があるということであり、そのモチベーションがあるという意味でもあります。

しかし、家庭菜園や、親の水田を譲り受けて耕作している場合は、収入には直結しないものの、対策にかけるお金の制約などのため、対策ができないことが多いのです。

 

先週、ある方からイノシシの被害相談を受けました。その方は自分の家のお庭でサツマイモを作っていたのですが、イノシシによって全滅させられました。その方は何と85歳(!)

85歳でまだ農業を続けているのも凄いと思いますが、いかんせん85歳。

農作業はできるのですが、力が必要な柵の設置などの作業はできません。また、お金もあまりかけられないとの事で、僕も非常に困り果てました。深刻な被害が出ているけれど、高齢化のため、お金を掛けられないため、対策できない。こういった事例は無数に存在します。

イノシシによって、そういった方々のささやかな楽しみが奪われているのです。

 

上で紹介したおばあちゃん。では代わりに僕が設置作業を代行してあげれば良いのでしょうか。

確かに僕が代わりにする事もできます。

だけど、それは本質的な解決にならないと思うのです。なぜなら、それをやると「私の所も」「俺の土地も」と同じような要望が出てきてしまうからです。

一体僕はどこまでをやればいいのか。

「線引き」

多分これからも常にこの言葉と向き合いながら、仕事をしていくのでしょう。全ての人を助けられる訳ではない、その現実を受け入れていかなければならないのです。